朝、目が覚めたのに
体が重い。気持ちが前に出ない。
「ちゃんと寝たはずなのに、なんでだろう」って思う日、あるよな。
カーテンの隙間から差し込む光。
ぼんやりと開いたスマホ画面。
時間だけが進んでいくのに、オレは動けなかった。
でもある日、
なぜか急に「ちょっと外に出てみるか」って思えたことがあった。
靴を履いて、空気を吸って、何歩か歩いただけ。
それだけで、気持ちがほんの少しだけ軽くなった。
そんな経験、ないか?
この記事では、
「なぜ運動すると、心が軽くなるのか」
その理由を、サクロウ自身の体験と言葉で、
感情と身体のつながりから紐解いていく。
「変わりたいけど動けない」って思ってるお前に、
ほんの少しでも動き出す火種を渡せたらいい。
まずは深呼吸して、読んでみてくれ。
風が、そろそろ吹き始めるから。
目次
「なんか重い…」って朝、あるよな
朝、目が覚めた瞬間から、
なんとなく体がだるい。気持ちも晴れない。
「何があるわけじゃないけど、今日は動けないかも」
そう思う朝、オレにもあった。
ベッドの中で天井を見て、
今日やるべきことを思い浮かべて、
そのまま深いため息をつく。
顔を洗っても、コーヒーを飲んでも、
どうにもスイッチが入らない日って、あるんだよな。
でも、そんな朝にふと、
「少しだけ歩いてみるか」って外に出たことがあって。
空気は冷たくて、まだ少し眠気が残ってたけど、
深く息を吸い込んだとき
頭の中に詰まってたモヤが、
ほんの少し、溶けていく感じがしたんだ。
そのとき感じたのが、「心が軽くなった」って感覚だった。
なんで、たったそれだけで?
そう思って調べてみたら、
人の気分や精神状態に関わる物質「セロトニン」は、
太陽の光や軽い運動、呼吸によって分泌されるらしい。
つまり、
体が動くと、心が動く準備が整い始めるってこと。
調子が悪い日の正体は、気合や根性の問題じゃなくて、
脳内物質と身体のリズムがズレてるだけのこともある。
無理して頑張るんじゃなくて、
ほんの少し体を動かすだけで、
心の中に風が通ることがある。
だからまずは、「ちょっとだけ動いてみるか」って思えるだけでいい。
その小さな衝動が、ちゃんと火種になるんだ。
身体と気持ちは、ぜんぶつながってる
気分が沈んでるときって、
「考えすぎてるからだ」とか「心が弱ってるからだ」って、
つい心のせいにしたくなる。
でも、オレはある日気づいた。
気持ちが落ちてるときって、だいたい体も止まってる。
1日中座って、呼吸が浅くて、
目と頭ばっかり使って
そうやって動いてない状態が、
気分の重さを引き寄せてたんだ。
身体と心は、別々にあるようで、
ほんとはがっつりリンクしてる。
たとえば、運動をすると、
自律神経が整うって話、聞いたことあるか?
交感神経と副交感神経。
この2つのバランスが乱れると、
不安やイライラ、倦怠感の原因になる。
でも、軽く体を動かすだけで、そのスイッチが切り替わる。
座りっぱなしでスマホやパソコンとにらめっこしてたら、
首も肩も固まって、呼吸も浅くなる。
脳だけフル回転して、体はずっと止まったまま。
それって、感情が出口を見失ってる状態なんだ。
「なにもしてないのに疲れる」って感覚、
それは思考が働きすぎて、身体がついていけてないサインかもしれない。
だからオレは、
気分が乗らない日ほど、まず体から動かすようにしてる。
歩く、伸ばす、息を吐く。
どれかひとつでもいい。
心の調子は、体の声に耳を傾けたとき、動き出すことがある。
気持ちがうまくいかない日は、
「自分の体がちゃんとついてきてるか?」
それを思い出してみてくれ。
オレが走り始めた理由。心のためだった
「強くなりたい」
そう思って走り始めたわけじゃなかった。
ある朝、ベッドから起き上がるのも億劫で、
体も気持ちも重かったオレは、
ただ外に出て呼吸を整えたいと思ったんだ。
靴を履いて、アスファルトを踏みしめる。
風が肌を撫で、朝の光が頬に触れる。
深く息を吸い込むたび、
頭の中でぐるぐる回っていたモヤモヤが、
少しずつ溶けていく感覚があった。
その瞬間、オレは気づいた。
走る理由は体を鍛えることじゃなく、
心を整えることだったと。
呼吸のリズムに合わせて、足を前に出す。
視界に入る木の葉の揺れ、
遠くで響く鳥の声。
自然と一緒に呼吸している感覚が、
心の奥の重さをゆっくりほぐしてくれる。
仲間と走る日もあった。
同じペースで、同じ空気を吸うだけで、
孤独や不安が少し薄れて、
「ひとりじゃない」と体感できた。
それからオレは、
「心が沈んでる日は、まず体を動かす」ことを習慣にした。
走ることで、感情の渦が少しずつ落ち着き、
考えすぎて硬くなった思考も、自然とほぐれていく。
思い出してほしい。
動き出すのは簡単じゃない。
でも、ほんの数歩でも、体を前に出すことができれば、
心もそれに続いて動き始めるんだ。
動き出せない日はちょっとだけ動いてみろ
正直なところ、
毎日走れるほどオレは強くない。
「今日はムリだ」って朝なんて、何度もあった。
でもな、動けない日って、
気持ちが動いてないだけで、
体の中にはまだ、ちゃんと火が残ってる。
その火をどう扱うかで、一日が変わる。
動けない日こそ、
いきなり全力を出そうとしなくていい。
たとえば、深呼吸を3回してみる。
ベランダに出て風を感じてみる。
それでも難しければ、
ベッドの上で足首を回すだけでもいい。
大切なのは、体を前に出したという事実。
オレは、歩くだけでもよしってことにしてる。
1分でも、1歩でもいい。
それが、次に繋がる火種になるからだ。
動き出した瞬間、
呼吸が変わる。血がめぐる。
その流れが、少しずつ気持ちを温めてくれる。
脳が「動ける」と理解する頃には、
心も少し前を向いている。
「やる気が出たから動く」じゃなく、
「動いたから、やる気が出る」
順番は、いつだってその逆でいい。
だから、もし今日も動けない朝なら、
何も考えず、足を一歩だけ出してみろ。
その一歩が、
止まっていたオレを連れ戻してくれるはずだ。
身体が変わると、思考も変わる
動くようになって、最初に変わったのは体型じゃなかった。
視界だった。
前よりも遠くが見えるようになった。
歩くたびに肩の力が抜けて、
呼吸が深くなっていく。
それに合わせるように、
頭の中のノイズが少しずつ小さくなった。
気づいたら、
「まあ、なんとかなるか」って言葉が口から出ていた。
それまでのオレなら、
そんな楽観的なこと、絶対に言わなかったのに。
身体が動くと、思考の角度が変わる。
重い感情を抱えたまま動いてもいい。
その重さごと揺らしていくうちに、
脳が、世界を別の角度で見始める。
筋肉がつくことよりも、
動ける体を信じられることが大事だった。
それが、心の支えになる。
汗をかいた後の静けさ。
シャワーの水が肌を流れるとき、
「今日も生きてる」って思える。
たったそれだけで、
昨日よりマシな自分になれている気がする。
運動の目的は、
強くなることでも、見せることでもなくて、
「自分を信じられる感覚を取り戻す」こと。
その感覚が積み重なると、
自然と考え方も柔らかくなる。
焦らなくてもいい。
変化は、いつだって内側から始まるから。
気分が沈んだ日は「体から心へ」戻ってこい
心が重くなる日って、誰にだってある。
理由なんてなくても、沈むことがある。
それを否定しなくていい。
大事なのは、戻るルートを覚えておくことだ。
オレはいつも、
「心じゃなくて、体から戻る」って決めてる。
息を吐いて、肩をまわして、
少しだけ空を見上げる。
それだけで、
頭の中にこもっていたものが
すこしずつ外に流れていくのがわかる。
心がついてこない日は、
体が代わりに前へ出ればいい。
そのうち、心もゆっくり追いかけてくる。
変わりたいって思うこと自体が、
もう変化の始まりなんだ。
焦らなくていい。
動けない日も、立ち止まる時間も、
ちゃんと次に繋がっていく。
だから今日も、
無理せず、ちょっとだけ体を前に出してみろ。
その一歩が、
また自分を取り戻すための火種になるから。
風は、止まっているオレの背中を
いつだって押してくれる。
体が動けば、心も動く。
そして気づけば
もう、前を向いて歩いてる。




